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「さくら」の2番 [奥山和由プロデューサー日記]

昨夜、急に思いたってスタンリー・キューブリックを追うドキュメンタリーを観た。2年程前に購入したものの、何だかつまらなさそうの嫌な予感にさいなまれ、放置状態だったが、ついに観た。きっかけはむし暑さだ。クーラーも調子悪く、寝苦しい。ふと「時計じかけのオレンジ」のポスターの主人公の顔がサブリミナルのようにうかんだのだ。その時が訪れたと、DVDに見入った。導入部はなかなか。キューブリック・フリークの3人の青年が、わずかな資金でドキュメント映画を作ろうと一念発起。そして取材依頼の電話をする。「自分はそんなに興味がないんだが、どうしてもインタビューをしたいという友人がいて」恐る恐るスタートを切る。皆、異口同音に言う。「やめとけ、気難しすぎる奴だから」なんとか本人に会おうとするが・・・キューブリックはトム・クルーズ主演の映画を遺作になくなってしまう(ここまでで約20分)。そこからは、ひたすら延々と関係者のインタビューが続く。だんだん退屈してくる。眠気がおそってくる。本人に会えなくなった時点でこの作品は終わりだろうと、ケチをつけながら眠気と戦う。もう、いよいよ、という時、我を忘れて画面にくぎづけになった。あの「時計じかけのオレンジ」の主人公、マルコム・マクダウェルがあのどうしようもないパワフルな不良が、ヨボヨボの老人となり、インタビューに答えている。暴力とSEXのかたまりの様な奴が、こんなになってしまっている。ショックだ。しかも、彼のコメントは、キューブリック批判。「細かく演技に注文をつけすぎて息苦しくなり役者を生かすことの出来ない奴」とか言っている。それも弱弱しい声で。許せなかった。美人女優が年をかさねるよりも、不良性感度良好な男が年月をすごすことの方が、難しい。やはり松田優作はすごかった。改めて、それを再認識してしまったのだ。と思っているうちに、あっ気なく、映画は終わる。正直言って、やはりつまらなかった。キューブリックの存在、空気が感じられないのだ。考えてみると、彼の姿はもちろん、彼の映画も全く出てこない(スナップがあるが)。再現でもいいから、見せてよという感じ。よくドキュメンタリーでは再現映像は、卑怯な手法と言われるが、それすらないと凄いフラストレーションを感じる。それからキューブリックの生の声、肉声がないことも空気を確認出来ない大きな理由だ。声は姿以上にその人の人となりを伝える。だから電話は感情が伝わりやすい。その声が全くないと、キューブリックの感情のひだに触れることができない。だから、このDVDは人にすすめられないという結論に到ってしまったのだ。

ところで、「TAIZO」には、一ノ瀬泰造自身の肉声がある。それも「さくら」を歌っている。しかも2番まで。あれを映画で声の出演をしている坂口憲二の歌声と間違う人がほとんどのようだが、まぎれもない泰造本人の歌声だ。これがまた上手すぎる。

またところで、皆さん「さくら」の2番の歌詞、ご存知ですが? 知らない方、是非「TAIZO」をご覧になって下さい。


2006-07-03 09:13  nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(1) 
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カンボジアに魅せられたおばさん

私は3回映画を観ました。中島監督にその感動を書いた下手なエッセイをお渡ししてしまったのですが、そのなかの、桜の歌と、初恋・・・・は、なんとなく私のエッセイと煮ています。もしかすると、奥山監督がお読みになったのでしょうか?
by カンボジアに魅せられたおばさん (2006-09-29 15:39) 

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